ブログ・コラム
2026.01.15
守りがあるから、家は開く・視線と音を整え、プライバシーが上質さを決める外観と中庭の設計思想
- カテゴリ:
- 家 住まい 間取り プラン
守りがあるから、家は開く。
視線と音を整え、
プライバシーが上質さを決める外観と
中庭の設計思想。
家は、美しく整っている。
素材も、間取りも、申し分ない。
それなのに
なぜか落ち着かない。
家にいるのに、
気持ちが緩まらない。
そういった違和感は、
暮らしの是非を問うほどの
話ではないのかもしれません。
けれど、
確実に暮らしの質を左右します。

※夜になると住まいの表情はさらに静まっていくように。
中庭の緑と光を眺める景色として取り込むことで、
視線も音も穏やかに受け止め暮らしの緊張をほどき、
住まう人の所作までも自然と整えてくれます。
多くの場合、その原因は
「間取り」や「広さ」よりも、
外部との関係が
整理されていないことにあります。
誰に見せる家ですか?。
誰から守る家ですか?。
住まいを考えるときというのは、
つい「どんな家にしたいか」を
考えてしまうものです。
けれど、
もうひとつ大切な問いがあります。
その家は、
誰に見せるための家でしょうか?。
そして、
誰から守るための家でしょうか?。
街の視線。
隣家との距離。
通りを行き交う人の気配。
夜の音。
帰宅時の暗がり。
これらは、
図面にははっきりと
描かれにくい要素です。
しかし、
暮らし始めてから、
確実に何かしらの影響として
「効いてくる」のは、
こうした外部との関係性です。
境界は「閉じる」「開く」ではなく、
「整える」・・・・・。
住宅設計の世界では、
「閉じる家」「開く家」
という言葉がよく使われます。
けれど、実際の暮らしは、
その二択では語れません。
必要なのは、
閉じるか、開くか、ではなく、
どこで、どのようにして
「受け止めるのか」ということです。
視線を完全に遮断すると、
安心は得られても、
どこか息苦しさが残ります。
反対に、
すべてを開放すると、
明るさは得られても、
無意識の緊張が生まれます。
暮らしの意味する境界とは、
遮断するための線ではなく、
暮らしを穏やかに保つための
緩衝帯なのだと考えています。
「見られる」だけで、
人は疲弊する・・・・・。
人は意識していなくても、
「見られている」と感じるだけで
緊張するものです。
リビングに座ったとき、
カーテン越しに外の気配を感じる。
玄関を出入りするたび、
通行人の視線が気になる。
それだけで、
心はわずかに構えた状態になります。
この緊張は、
目立つストレスではありません。
けれど、
毎日積み重なることで、
暮らしの温度、気持ちを
少しずつ下げていきます。
住まいが舞台になってしまうと、
人は家の中でも「役割」を
演じ続けます。
本来、住まいは、
役割を降ろす場所であるはずなのに。
上質さは、
秘匿性から始まるということ。
上質な暮らしというと、
広さや素材、
設備を思い浮かべる方も
多いかもしれません。
けれど、
実際に住んでみて
「この家は楽だ」と感じる住まいには、
共通点があります。
それは、
見られない自由が
キチンと確保されていること。
プライバシーは贅沢ではありません。
暮らしの在り方を守るための、
極めて実用的な要素です。
守られているからこそ、
人は自然体でいられます。
そして、
自然体でいられる場所こそが、
結果として「上質」と
感じられるのだと考えています。
外観の構えは街への主張ではない
外観は、どうしても「見せ方」が
話題になりがちです。
けれど、
やまぐち建築設計室が
大切にしているのは、
暮らしの内側から見た外観です。
外からどう見えるか?
ではなく、
内側でどう感じるか。
通りに対して、
どの距離で構えるのか。
どこで視線を受け止めるのか。
どこで視線を逃がすのか。
外観は街への主張ではなく、
暮らしの静けさを守るための
構えだと考えています。
「柔らかく遮る」という技術
暮らしの境界をつくる方法は、
壁だけではありません。
門、塀、植栽、格子、アプローチ。
それらを重ねることで、
視線は自然と和らいでいきます。
いきなり遮断しない。
段階をつくる。
外から内へ、
一気に切り替えるのではなく、
気配を少しずつ変化させる。
植栽は、
目隠しのためにあるのでは
ありません。
視線を受け止め、
流して和らげるための「間」です。
この間があることで、
家の内側に、余計な緊張が
入り込まなくなります。
夜の帰宅が、
住まいの質を決める
上質さは、
昼よりも夜に現れます。
仕事を終え、
一日の緊張を抱えたまま
帰宅する時間。
このとき、
玄関前で立ち止まらないこと。
足元が不安にならないこと。
眩しさに目を細めないこと。
これらはすべて、
「帰宅時に気が緩むかどうか」に
直結します。
防犯という言葉で
語られがちな要素も、
本質は安心して
気持ちをほどけるかどうかです。
守りがある家では、
夜の帰宅が、
静かな切り替えの時間になります。
家が開くのは、
先に守れているから・・・・・。
中庭のある住まいが
心地よく感じられるのは、
単に外部に
開いているからではありません。
外部との境界が、
適切に整えられているからです。
守られているから、
窓を大きく取れる。
視線を気にせず、
光や風を取り込める。
開放感は、
開くことで生まれるのではなく、
守れた結果として生まれる。
これは、
住み始めてから、
静かに実感されていく価値です。
その住まいは、
これからの人生に何をもたらしますか?。
住まいを考えることは、
これからの時間を考えることです。
どんな朝を迎えたいのか。
どんな気持ちで一日を終えたいのか。
どんな言葉を家の中で交わしたいのか。
その時間を守るために、
何を外に出し、
何を内に残すのか。
その問いに、
唯一の正解はありません。
けれど、
問いを持たないままで
完成した家は、
どこかで違和感を生みますし
後から別要素として入り込むような
外構や庭の計画では
「境界の品」の持つ意味が
異なってきます。
境界は暮らしの品位を守る
静かな工夫・・・・・。
暮らしの境界は、
主張するためのものではありません。
暮らしを守り、
所作を整え、
思考を鎮めるための、
静かな深みです。
やまぐち建築設計室では、
そうした「意味を持った設計」を
大切にしています。
住み始めた瞬間よりも、
住み続ける中で、
その価値が伝わっていく家。
守りがあるから、
家は、自然に開いていく。
そういった「ふるまい」は
上質な住まいのひとつのかたちです。
住まいは、
人生の多くの時間
を受け止める場所です。
だからこそ、
見せることよりも守ることから考える。
その先に、
本当の開放感があると
考えています。
このブログが、
皆さんの住まいと暮らしを見直す
キッカケになれば幸いです。
○関連blog
品の良さは設計で整えられる、心と身体が自然に落ち着く住まいの環境設計
https://www.y-kenchiku.jp/blog_detail695.html
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