ブログ・コラム
2026.02.14
間取りを描く前に考えておきたい、住まい手の人生と暮らしを整える住まいづくりの考え方
- カテゴリ:
- 住まいと暮らしの考え方
家造りを考え始めると、
なぜ人は不安になるのか?
間取りを書く前に、
人生と暮らしについて話しませんか?

※間取りや機能を決める前に、
どんな時間をどのような質を持つ空間で
重ねていきたいかを考える事。
家づくりを考え始めたとき、
多くの人は「楽しみ」と同時に、
説明しづらい不安を抱えます。
それは金額の問題でも、
知識の不足でもありません。
もっと奥にある、
言葉にならない感情です。
・本当にこの選択でいいのだろうか
・新しい家で家族は穏やかに
過ごせるのだろうか
・数年後も、ここで心地よく
暮らしているだろうか
こうした不安は、
家づくりに
真剣だからこそ生まれます。
そして実は多くの場合、
間取りを考え始めた瞬間から
強くなるものです。
なぜでしょうか?
それは間取りというものが、
暮らしの「答え」のように
見えてしまうからです。
部屋数、広さ、配置、動線。
特に皆さんが「間取り図」と呼んでいる
「平面図」は具体的で、
分かりやすく、判断しやすい。
けれど同時に、
人生や感情を一気に
固定してしまう力も持っています。
人は、本来まだ決まっていない
未来を前にすると、
不安定さを感じます。
人には予測可能な範囲と
予測不可能な範囲が
「経験」や「感情」によって異なります。
車の運転でもそうでは無いですか?
だからこそ、
形のあるもの、
数値で測れるものに
安心を求めようとします。
間取りが先に欲しくなるのは、
とても自然な心理です。
けれど、
ここに一つの落とし穴があります。
暮らしは、本来もっと曖昧で、
揺らぎのあるものです。
忙しい日もあれば、
何も起きない日もある。
嬉しい日も、
うまくいかない日もある。
家族との距離感も、
気分や季節、年齢や環境によって
変わります。
それなのに、
先に間取りという
「完成された答え」のようなものを
置いてしまうと、
その揺らぎを受け止める余地が
なくなってしまうことがあります。
内容を固定しすぎて
なんとなく疲れる住まい・・・・。
役割を固定させすぎると
生まれる現象。
この「なんとなく」こそが、
空間と感情のズレから生まれる違和感です。
人は、空間から
常に影響を受けています。
視線の抜け、天井の高さ、光の入り方、
音の反響、距離感、居場所の選択肢。
それらは意識されることなく、
日々の感情に静かに作用しています。
けれど、その影響は
図面だけでは読み取れません。
数値にも、記号にもなりません。
だからこそ、
間取りを考えれば考えるほど、
「これで合っているのか」
という不安が増していく。
本当は、間取りの前に
確認しておくべきことがあるのに。
それは、
どんな人生を送りたいのか、
どんな気持ちで日常を過ごしたいのか、
という、
とても個人的で、曖昧な問いです。
私からすると、
家は「正解を与えるもの」ではなく、
人生を受け止める「場」であるべきだと
考えています。
場・・・器となる場とは、
中身が変わっても、壊れず、拒まず、
必要に応じて
役割を変えられる存在。
人の人生も、家族のかたちも、
決して一定ではありません。
年齢も、仕事も、関係性も、
心の状態も、
時間とともに移ろっていきます。
だから住まいもまた、
感情の変化に耐え、
疲れた心を回復させ、
また前に進む力を与える場所で
あってほしいと考えています。
不安を消すことはできなくても、
不安を抱えたままでも
戻ってこられる場所。
感情を整え直せる場所。
間取りを考える前に、
家具やインテリア、
趣味の話をしたり
人生と暮らしの話から始める理由は、
そこにあります。
家づくりの不安は、
間違いのサインではありません。
大切にしたいものがあるという、
合図なのです。
私は、その合図を無視せず、
形に急がず、
まず言葉にすることから
始めたいと考えています。
間取りと空間構成は、
感情にどう影響しているのか?
生活の中で、
そして住まいの中で、
私たちは一日に何度も
感情を揺らしています。
意識しているわけではありません。
けれど、
確実に影響を受けています。
朝、目覚めたときの光の入り方。
廊下を歩いたときの音の響き。
リビングに入った瞬間の広がり。
ふと腰を下ろした場所の落ち着き。
これらはすべて、
間取りや空間構成が
つくり出しているものです。
人は、空間を「見て」
暮らしているだけではありません。
同時に、空間を
「感じながら」生きています。
そしてその感覚は、
言葉になる前に、行動する前に
感情として立ち上がります。
なぜ、同じような広さの部屋でも、
落ち着く場所と、
落ち着かない場所があるのでしょうか?
なぜ、何も不満がないはずなのに、
家にいると気持ちが
休まらないと
感じることがあるのでしょうか?
その答えの多くは、
空間のつくり方そのものにあります。
たとえば「視線」です。
人は無意識のうちに、
自分の視線がどこまで届くかを
感じ取っています。
視線が抜けすぎる空間は、
一見すると開放的ですが、
常に外や周囲を
意識し続けることにもなります。
逆に視線が適度に止まる場所があると、
人は安心します。
背後を気にせず、
身体を預けられる感覚が
生まれるからです。
リビングで自然と同じ場所に座る理由も、
多くの場合「見え方」と「守られ感」の
バランスにあります。
次に「距離感」です。
家族との距離が近いほど、
安心できると感じる人もいれば、
少し離れていた方が
落ち着く人もいます。
これは性格の問題ではありません。
人にはそれぞれ、
心地よく感じる「感情の距離」があります。
パーソナルスペースとも
呼ばれるものです。
ところが、
間取りを考える際に
この距離感が無視されると、
小さなストレスが積み重なります。
声が近すぎる。
気配を感じすぎる。
逆に、遠すぎて孤立感を覚える。
そうした感覚は、
「不満」としては
表に出てこないことがほとんどです。
ただ、疲れやすくなったり、
些細なことで気持ちが荒れたりする。
住まいが、
感情の調整を助けるどころか、
消耗させてしまう状態です。
「天井の高さ」も同じです。
高ければ良い、低ければ悪い、
という話ではありません。
大切なのは、
その場所でどんな時間を
どのような感情で過ごすのか?
ということです。
動きのある場所、
人が集まる場所、
外とつながる場所。
そこには、
ある程度の高さや広がりが
向いています。
一方で、
考えごとをする場所、
静かに過ごす場所、
感情を整えたい場所には、
包まれるようなスケール感が必要です。
空間の大きさは、
感情の強さに直結します。
広すぎる空間は、
気持ちを外へ向かわせ、
狭すぎる空間は、
気持ちを内側に閉じ込めます。
そのバランスをどう取るかが、
空間構成の要です。
もう一つ大切なのが、
「居場所の選択肢」です。
居場所が一つしかない住まいでは、
感情も一つの状態に
固定されがちです。
疲れていても、
元気なときと同じ場所で
過ごさなければならない。
けれど、
居場所が複数ある住まいでは、
人は無意識に、
その日の気分に合った場所を
選ぶことが出来ます。
今日は明るい場所で過ごしたい。
今日は少し陰のある場所がいい。
今日は家族の近くにいたい。
今日は少し距離を取りたい。
こうした選択ができること自体が、
感情の安定につながります。
間取りや空間構成の役割は、
人をコントロールする
ことではありません。
感情の選択肢を増やすことです。
住まいが、
「こう過ごすべき場所」になってしまうと、
人は無理をします。
けれど、
「こう過ごしてもいい場所」になると、
人は自然体でいられます。
家づくりの不安の正体は、
「間違えたくない」という
気持ちだけではありません。
本当は、自分や家族が、
無理をし続ける暮らしにならないか、
そこを恐れているのだと思います。
だからこそ、
間取りや空間構成は、
効率や見た目だけで
決めてはいけません。
その空間が、
どんな感情を呼び起こすのか。
どんな気分のときに、
どこに居られるのか。
そうした視点を重ねることで、
住まいは、
感情を消耗する場所から、
感情を回復させる場所へと変わっていきます。
やまぐち建築設計室が
大切にしているのは、
空間そのものではなく、
空間の中で生まれる「感情の流れ」です。
間取りは、
その流れを静かに導くための
道筋にすぎません。
家族の距離感は、
設計で整えるということ。
喜怒哀楽に寄り添う住まいと、
家族の在り方・・・・・。
家族は、最も身近で、
最も繊細な関係です。
分かり合えていると思っていても、
ちょっとしたことで
気持ちがすれ違う。
夫婦関係もそうではありませんか?
言葉にしなくても
伝わることがある一方で、
言葉にしないからこそ、
誤解が生まれることもあります。
住まいは、
そのすべての感情が行き交う場です。
嬉しい出来事があった日も、
うまくいかなかった日も、
家族は同じ空間に戻ってきます。
だからこそ、住まいは
感情を増幅させる場所にも、
静かに受け止める場所にもなり得ます。
家族は仲が良いから、
いつも一緒にいられる間取りがいい
という言葉を耳にします。
その想い自体は、
とても温かいものです。
けれど同時に、
少しだけ立ち止まって
考えたいとも思います。
本当に必要なのは、
常に一緒にいられること
でしょうか?
人は、どんなに大切な相手であっても、
感情が揺れているときには、
距離が必要になることがあります。
怒りを鎮めたいとき。
落ち込んだ気持ちを整理したいとき。
誰にも見せずに、
少しだけ弱くなりたいとき。
そうした時間を持てるかどうかは、
性格ではなく、
空間が許しているかどうかに
左右されます。
たとえば、
家族が集まる場所が
一つしかない住まいでは、
感情も集まりやすくなります。
良いときは楽しい。
けれど、気分がすれ違ったときには、
逃げ場がなくなる。
声の届き方、視線の交差、
気配の濃さ。
それらが積み重なると、
本来は小さな感情だったものが、
大きな衝突へと
変わってしまうことがあります。
逆に、
距離を取りすぎた住まいもまた、
別の不安を生みます。
顔を合わせる機会が減り、
声を交わすタイミングを失い、
同じ家にいながら、
それぞれが孤立していく。
大切なのは、
近すぎず、遠すぎない距離。
そして、その距離を
その日の感情に応じて選べることです。
設計によってできるのは、
家族の関係を
良くすることではありません。
けれど、
関係がこじれにくい
環境をつくることはできます。
たとえば、
必ず通る場所に小さな居場所をつくる。
すれ違いざまに、
自然と声を掛け合える距離感を残す。
一方で、
視線や音が緩やかに
遮られる場所を用意する。
それだけで、
感情の衝突は驚くほど減ります。
怒りは、
向き合わなければ解決しない、
と思われがちです。
けれど実際には、
少し時間を置くことで、
自然にほどけていく感情も多い。
住まいにその「間」があるかどうか。
それが、家族関係に与える影響は、
決して小さくありません。
また、
喜びの感情にも、
同じことが言えます。
楽しいことを共有したいとき、
無理に集まらなくても、
同じ気配を感じられる距離がある。
声を掛けるほどではないけれど、
存在を感じられる。
その曖昧な距離感が、
安心感を生みます。
住まいは、
感情を管理する場所ではありません。
感情が揺れることを前提に、
受け止め、流し、
回復させる場所です。
家族の在り方に、
一つの正解はありません。
その時々で、
距離も、関わり方も変わります。
だからこそ、
設計は固定するためではなく、
揺らぎを許すためにあります。
喜びがあふれる日も、
言葉少なになる日も、
同じ住まいの中で、
それぞれが無理なく過ごせる。
そんな空間は、
家族を縛るのではなく、
家族を支えます。
私たちが考える住まいとは、
仲良くあることを求める場所ではなく、
戻ってこられる場所です。
感情を持ったまま、
安心して居られる場所。
間取りや空間構成は、
そのための静かな土台です。
人生の変化を受け止める器としての住まい
やまぐち建築設計室の建築の思考
ここまで、
間取りの前に生まれる不安、
空間が感情に与える影響、
そして家族の距離感について
考えてきました。
それらを貫いているのは、
一つの問いです。
住まいは、
人生に対して何ができるのか?
私は、住まいを
「完成した答え」だとは考えていません。
むしろ、人生の変化を引き受け続ける
余白のある器だと考えています。
人生は、なかなか
計画通りには進まない事の方が
多いかも知れません。
気持ちが大きく
前を向く時期もあれば、
足踏みをする時期もある。
家族の関係も、
常に同じ距離感でいられる
という訳ではありません。
それでも、
人は日々を精一杯生きています。
だからこそ、住まいには
変化に耐える力が求められます。
便利であること、
機能的であること、
整っていること。
それらは確かに大切です。
けれど、それだけでは
人生の揺らぎを受け止めきれません。
私が設計で大切にしているのは、
感情が戻ってこられる場所が
あるかどうか?
という視点です。
気持ちが高ぶったとき、
一度、静かになれる場所があるか。
落ち込んだとき、
誰にも説明せずに過ごせる場所があるか。
嬉しいとき、
自然と共有できる空間があるか。
それらは、
図面の中で計算を行っていても
読み取ることが出来ないような
小さな違いかもしれません。
けれど、暮らしの中では
大きな差になります。
住まいは、
人を前向きにすることもあれば、
無意識のうちに
消耗させてしまうこともある。
その分かれ道は、
派手なデザインや目新しさではなく、
日常の感情に
どれだけ寄り添った構成が
含まれているかどうかにあります。
やまぐち建築設計室では、
間取りを描く前に、
暮らしの話をします。
そして人生の話をします。
言葉にならない不安や、
まだ整理できていない想いを、
一緒にほどいていきます。
それは、
正解を探すためではありません。
むしろ、今後という未来を想像できる軸を、
住まい手自身の中に
見つけていただくるためです。
軸が定まれば、
間取りのカタチも
意味を持つようになります。
空間構成も、
暮らしに無理のない形へと
収まっていきます。
逆に、
軸がないまま形だけを決めると、
どこかで違和感が残ります。
その違和感は、
暮らし始めてから、
じわじわと表に出てきます。
私は、その「後から出てくる違和感」を
できる限り
減らしたいと考えています。
家族の構成が変わっても、
環境が変わっても、
気持ちが揺れても、
「この家に帰れば整え直せる」
そう思える住まい。
それは、
強い主張をする家ではありません。
暮らしを支配する家でもありません。
静かに寄り添い、
必要なときには距離を保ち、
また近づける余地を残す家。
住まいがそうした存在であれば、
人生は、
少しだけ楽になります。
完璧でなくてもいい。
迷ってもいい。
立ち止まっても、また動き出せる。
間取りを描く前に、
人生と暮らしについて話す理由は、
そこにあります。
住まいは、
人生を良くするための道具ではなく、
人生を受け止めるための場所。
やまぐち建築設計室は、
これからも
感情と時間に寄り添う住まいを、
丁寧に設計していきたいと
考えています。
今回の投稿が、少し立ち止まって
あなたの暮らしと人生を見つめ直す
キッカケになれば幸いです。
‐‐----------------------------------------
■やまぐち建築設計室■
奈良県橿原市縄手町387-4(1階)
建築家 山口哲央
https://www.y-kenchiku.jp/
住まいの設計、デザインのご相談は
ホームページのお問合わせから
面談、相談のご予約をおねがいします
------------‐-----------------------------

